今井ゆみ

多摩美術大学日本画卒。今井デンタルクリニックの次女。父のデンタルクリニック・WEBデザイナー、姉の祥恵のプリンセストレーディング・WEBデザイナーとして活躍中。

日本画家

今井ゆみは、母の実家があるニューヨークで生まれた。

ニューヨークで生まれてから小学校に上がるまでは、日本へ帰国する飛行機に搭乗することができず、ずっと母と祖父母とニューヨークで暮らしていた。

ニューヨークでの暮らしは、そこそこ楽しかったので今井ゆみは、ちっとも寂しくはなかった。その間は、父親はいなかったが、母親を自分1人で独り占めできた。そのせいか、今井ゆみは母親っこだった。

母は、姉の祥恵に兄弟が欲しいと切望されて、今井ゆみを生んだ。

妹が生まれてから小学校に上がるまで日本へ帰国することができず、ずっと妹に会えなくて1番寂しがっていたのは、姉の祥恵だった。自分が母に切望してようやく誕生した妹が可愛くてたまらなかった。ほとんど毎日、ニューヨークにいる妹とLINEをして、妹の今井ゆみの顔を眺めていた。

常に母と姉が自分のことを可愛がってくれるため、今井ゆみは人一倍甘えん坊に育っていた。

ニューヨークの学校には、飛び級という制度があって、進級の際に勉強ができる子は、本来進級する学年での勉強は不要と判断されて、さらに上の学年へと飛び越えて進級できてしまうことがあった。

今井ゆみが、日本へ帰国して入学した明星学園は、アメリカナイズされたフリーダムな教育方針を持った学園だった。姉の祥恵は、この学園の小等部1年生から入学しており、5歳年下の妹のゆみも、ニューヨークから帰国して姉と同じ小等部に入学することとなった。

フリーダムな教育方針の学園では、生徒たちは皆、授業の成績とかにはこだわらず、自由な学園生活を楽しんでいた。姉の祥恵も、授業の成績とかは一切気にせず、女子バスケ部の部活動などキャンバスライフを謳歌していた。そんな祥恵だったが、成長してくるに連れて、自分が長女であるという自覚と父のデンタルクリニックを引き継ぐため、医者への道を意識するようになってきた。

姉の祥恵の高校生活は、これまでの中等部での学園生活と違い、医大受験を意識した学園生活に変わっていた。バスケ部もきっぱり諦めて、医大受験を意識した受験勉強中心の学園生活になった。

今井ゆみは、ニューヨークから帰国して5歳年上の祥恵と5学年下の小等部の1年生に入学した。その後、アメリカナイズされた学園では、進級の際に飛び級が認められて、姉と同学年、同級生の中等部へと進学することとなった。

大好きな姉と同級生になれたことは、明星学園物語の通り、妹のゆみの甘えん坊をさらに加速させることとなった。

大好きな姉と中等部、高等部とも、ずっと同学年で一緒に過ごせてきた今井ゆみは、大学も姉の祥恵と同じ大学でキャンバスライフをエンジョイできるものと思っていた。

姉の祥恵の高校生活は、医大受験を意識した受験勉強中心の学園生活だった。今井ゆみの高校生活は、これまでの中等部での学園生活同様に、いつも姉と一緒の甘えん坊な学園生活だった。

今井ゆみは、3年生の進路相談で担任に姉の祥恵と同じ大学に進学すると伝えると、まったく受験勉強などしてこなかった今井ゆみには、医大受験などぜったい無理だと一笑された。何より姉と一緒の大学に行きたいなどという理由で進路を決めるのではなく、自分自身が将来何をやりたいのかで、自分の進路は決めなさいと諭された。

それでも、将来自分が何をやりたいのかを高校卒業時までに決められなかった今井ゆみは、母と相談して、とりあえず姉の受験する医大と同じ医大を受験した。

そして、姉が落ちてしまった慶應大学医学部に今井ゆみは合格できた。いままで受験した全ての医大に落ちた姉の祥恵は、最後のチャンスとして東京大学医学部を受験した。もともと姉と同じ大学に通うのが目的だった今井ゆみも、東京大学医学部を受験した。そして、姉の祥恵は落ちて、今井ゆみは合格した。

高校卒業後、姉の祥恵は代々木ゼミナールへ通って、来年の医大を目指すこととなった。

東京大学医学部に合格した今井ゆみだったが、もともと医学部などには興味がない今井ゆみは、東京大学医学部の合格通知は蹴って、代々木ゼミナールへ通うと母に伝えた。ゆみに甘い母は、今井ゆみに言われるままに代々木ゼミナールの申込書をもらってくると、そこへ今井ゆみの名前を記載して提出しようとしていた。

「あんた、バカなの!予備校は大学に合格できなかった人が行くところなの!」

予備校の申込書に記入している母と今井ゆみを見つけた姉の祥恵は、顔を真っ赤にして怒った。そして、今井ゆみは、合格した東京大学医学部に入学することとなった。

「私だって、来年こそは医学部に入学するんだから!」

今井ゆみは、姉の祥恵のその言葉を信じて、先に大学へ入学して、姉が入学してくるのを1年間待つことになった。だが、その1年後、姉の祥恵は父や母と同じ慶應大学医学部に合格して、慶應大学に入学することとなったため、今井ゆみの通っている東京大学医学部へ姉が入学してくることはなかった。

大学生になって、初めて姉と違う学校に通うこととなった今井ゆみは、1人で学校へ通うようになって少し自立できるようになった。中等部で姉が女子バスケ部だったのを見てきたので、大学の部活は女子バスケ部に入部したいなと考えていたが、大学にはヨット部もあることを知って、父や姉がやっているヨットに乗れるようになりたいとヨット部への入部を決めたのだった。ヨット部がゆみの自立をさらに加速させてくれることになった。

今井ゆみとヨットの相性はよかったようで、ゆみに世界巡航記に繋がることとなった。

姉と同じ大学へ行きたいからと選択した東京大学医学部だったが、医学部での勉強を続けているうちに、大好きな動物たちをたくさん救いたいと獣医を目指すようにと目的が変わった。

獣医を目指して通っていた東京大学医学部だったが、獣医は動物の命を助けるだけではなく、時には奪わなくてはならないこともあることを知って、獣医への道を諦めた。

そして、多摩美へ入学し直して、日本画で動物を描く道へと変わった。

今井ゆみは、母の実家があるニューヨークで生まれた。

ニューヨークで生まれてから小学校に上がるまでは、日本へ帰国する飛行機に搭乗することができず、ずっと母と祖父母とニューヨークで暮らしていた。

ニューヨークでの暮らしは、そこそこ楽しかったので今井ゆみは、ちっとも寂しくはなかった。その間は、父親はいなかったが、母親を自分1人で独り占めできた。そのせいか、今井ゆみは母親っこだった。

母は、姉の祥恵に兄弟が欲しいと切望されて、今井ゆみを生んだ。

妹が生まれてから小学校に上がるまで日本へ帰国することができず、ずっと妹に会えなくて1番寂しがっていたのは、姉の祥恵だった。自分が母に切望してようやく誕生した妹が可愛くてたまらなかった。ほとんど毎日、ニューヨークにいる妹とLINEをして、妹の今井ゆみの顔を眺めていた。

常に母と姉が自分のことを可愛がってくれるため、今井ゆみは人一倍甘えん坊に育っていた。

ニューヨークの学校には、飛び級という制度があって、進級の際に勉強ができる子は、本来進級する学年での勉強は不要と判断されて、さらに上の学年へと飛び越えて進級できてしまうことがあった。

今井ゆみが、日本へ帰国して入学した明星学園は、アメリカナイズされたフリーダムな教育方針を持った学園だった。姉の祥恵は、この学園の小等部1年生から入学しており、5歳年下の妹のゆみも、ニューヨークから帰国して姉と同じ小等部に入学することとなった。

フリーダムな教育方針の学園では、生徒たちは皆、授業の成績とかにはこだわらず、自由な学園生活を楽しんでいた。姉の祥恵も、授業の成績とかは一切気にせず、女子バスケ部の部活動などキャンバスライフを謳歌していた。そんな祥恵だったが、成長してくるに連れて、自分が長女であるという自覚と父のデンタルクリニックを引き継ぐため、医者への道を意識するようになってきた。

姉の祥恵の高校生活は、これまでの中等部での学園生活と違い、医大受験を意識した学園生活に変わっていた。バスケ部もきっぱり諦めて、医大受験を意識した受験勉強中心の学園生活になった。

今井ゆみは、ニューヨークから帰国して5歳年上の祥恵と5学年下の小等部の1年生に入学した。その後、アメリカナイズされた学園では、進級の際に飛び級が認められて、姉と同学年、同級生の中等部へと進学することとなった。

大好きな姉と同級生になれたことは、明星学園物語の通り、妹のゆみの甘えん坊をさらに加速させることとなった。

大好きな姉と中等部、高等部とも、ずっと同学年で一緒に過ごせてきた今井ゆみは、大学も姉の祥恵と同じ大学でキャンバスライフをエンジョイできるものと思っていた。

姉の祥恵の高校生活は、医大受験を意識した受験勉強中心の学園生活だった。今井ゆみの高校生活は、これまでの中等部での学園生活同様に、いつも姉と一緒の甘えん坊な学園生活だった。

今井ゆみは、3年生の進路相談で担任に姉の祥恵と同じ大学に進学すると伝えると、まったく受験勉強などしてこなかった今井ゆみには、医大受験などぜったい無理だと一笑された。何より姉と一緒の大学に行きたいなどという理由で進路を決めるのではなく、自分自身が将来何をやりたいのかで、自分の進路は決めなさいと諭された。

それでも、将来自分が何をやりたいのかを高校卒業時までに決められなかった今井ゆみは、母と相談して、とりあえず姉の受験する医大と同じ医大を受験した。

そして、姉が落ちてしまった慶應大学医学部に今井ゆみは合格できた。いままで受験した全ての医大に落ちた姉の祥恵は、最後のチャンスとして東京大学医学部を受験した。もともと姉と同じ大学に通うのが目的だった今井ゆみも、東京大学医学部を受験した。そして、姉の祥恵は落ちて、今井ゆみは合格した。

高校卒業後、姉の祥恵は代々木ゼミナールへ通って、来年の医大を目指すこととなった。

東京大学医学部に合格した今井ゆみだったが、もともと医学部などには興味がない今井ゆみは、東京大学医学部の合格通知は蹴って、代々木ゼミナールへ通うと母に伝えた。ゆみに甘い母は、今井ゆみに言われるままに代々木ゼミナールの申込書をもらってくると、そこへ今井ゆみの名前を記載して提出しようとしていた。

「あんた、バカなの!予備校は大学に合格できなかった人が行くところなの!」

予備校の申込書に記入している母と今井ゆみを見つけた姉の祥恵は、顔を真っ赤にして怒った。そして、今井ゆみは、合格した東京大学医学部に入学することとなった。

「私だって、来年こそは医学部に入学するんだから!」

今井ゆみは、姉の祥恵のその言葉を信じて、先に大学へ入学して、姉が入学してくるのを1年間待つことになった。だが、その1年後、姉の祥恵は父や母と同じ慶應大学医学部に合格して、慶應大学に入学することとなったため、今井ゆみの通っている東京大学医学部へ姉が入学してくることはなかった。

大学生になって、初めて姉と違う学校に通うこととなった今井ゆみは、1人で学校へ通うようになって少し自立できるようになった。中等部で姉が女子バスケ部だったのを見てきたので、大学の部活は女子バスケ部に入部したいなと考えていたが、大学にはヨット部もあることを知って、父や姉がやっているヨットに乗れるようになりたいとヨット部への入部を決めたのだった。ヨット部がゆみの自立をさらに加速させてくれることになった。

今井ゆみとヨットの相性はよかったようで、ゆみに世界巡航記に繋がることとなった。

姉と同じ大学へ行きたいからと選択した東京大学医学部だったが、医学部での勉強を続けているうちに、大好きな動物たちをたくさん救いたいと獣医を目指すようにと目的が変わった。

獣医を目指して通っていた東京大学医学部だったが、獣医は動物の命を助けるだけではなく、時には奪わなくてはならないこともあることを知って、獣医への道を諦めた。

そして、多摩美へ入学し直して、日本画で動物を描く道へと変わった。

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