今井ゆみのヨット歴

今井ゆみの姉・祥恵は、父親が横浜のヨットクラブ会員で、同クラブに30フィートのセイリングクルーザーを所有していたことから、幼少からよく父親について横浜へヨットを乗りに行っていました。

父親が所有していた30フィートセイリングクルーザーにも乗っていましたが、小学生になってからは同クラブに隣接するマリーナで開催されていたジュニアヨット教室に通っていました。

幼少の頃、身体があまり強くなかった今井ゆみは、いつも毎週末になると、横浜へ父親とヨットを乗りに行く姉のことを羨ましく思っていました。

小中高と部活動は控えてきた今井ゆみは、大学に入学したとき、初めて部活動することが解禁となり、嬉しくてたまりませんでした。

今井ゆみは、大学の入学式でバスケ部などの花形のスポーツ部が派手に勧誘している中、ひっそりと地味に勧誘していたヨット部の存在に心惹かれました。

「お姉ちゃんがやっていたヨットだ」

大学のヨット部が、今井ゆみのヨット歴の始まりでした。

初めてのヨットレース

甘えん坊で人見知りなゆみは、1人で参加することができず、同じ医学部の同級生で姉と同い年の女性と一緒に、ヨット部へ入部しました。

入部後、はじめは部室に行って座学でヨットのことを学びました。その後、江ノ島の大学のヨット部のヨットが保管されているヨットハーバーへ出向き、そこで初めて実際のヨットに乗りました。

入部して最初の頃は、一緒に入部した姉と同い年の同級生と一緒に乗船して、彼女がティラーで操船するヨットで、メインシートやジブシートを引いたり出したりしていました。それから、学年が1年先輩の優しい上級生の女性と乗船するようになりました。

ゆみは、小等部の頃、飛び級で進級していたため、上級生はもちろん、同級生でも周りはほとんど姉と同い年の、ゆみより年上のクラスメートが殆どでした。優しい先輩や同級生が多く、背も低くチビで甘えん坊の性格だった年下のゆみのお姉さんのように接してくれました。

ゆみも、妹として姉がティラーで操船するヨットに同乗させてもらって、ヨットの前部でメインシートやジブシートなどを引いたりと姉の操船をサポートしながら乗っていました。ゆみの力が足りなくて、上手くメインシートなどを引くことができないでいると、ティラーを握っている姉がよくメインシートを引くのを手伝ってくれたりしていました。

「彼女、ヘルムスと代わらせてみようか」

練習中、テンダーで練習のサポートをしているコーチに言われて、ゆみはティラーを握っている姉とヨットの乗る場所を交代して、ゆみがティラーを握って、姉がヨットの前部でメインシートやジブシートなどを操作するようになりました。

最初は、ティラーの操船など全くうまく出来ませんでしたが、だんだん慣れてきて操船できるようになってきました。

「なんか、こっちの方が操船しやすいかも・・」

いつも一緒に同乗している姉たちは、ゆみにティラーを任せておいて、メインシートやジブシートのシートトリムに徹しられる方を好みました。ゆみの力が足りず、ティラーの操船をしながらも、シートトリムの手伝いもしなければならないことが多かったため、力の足りないゆみにティラーを任せておいて、前部でシートトリムをしていた方が乗る効率が良かったのでした。

ゆみも、力をあまり使わなくても、風や海の状況を読むことに集中しながらティラーを操船できるヘルムスのポジションの方が乗りやすく感じていました。

学年が1年先輩の優しい上級生の女性とのコンビは、お互いに相性が良かったらしく、時々開催される大学対抗のヨットレースでは、度々2人コンビでの乗船で優勝するようになっていました。

ヨットレースでもらえる小さな優勝カップは、先輩と代わりばんこで順番に持ち帰って、ゆみの自宅のリビングにも何個か飾らせてもらえるようになりました。

姉の祥恵も、ゆみも大学入学を終えて、父親としての責任もひと段落した頃、父はもうずっと何十年も乗り続けてきた古いヤマハ製のセーリングクルーザーを真新しいドイツ製のセーリングクルーザーへ乗り替えました。

ヨットは新しく生まれ代わったのですが、横浜のヨットクラブで開催されるヨットレースでは、父のヨットはなかなか優勝できませんでした。リビングに飾られているゆみの優勝カップを眺めた父は、ゆみのことを姉と一緒に横浜のヨットクラブへ連れて行きました。

その日、横浜のヨットクラブで開催されるクラブレースに参加すると、ゆみにラットを握らせると、レース中のヘルムスをゆみに担当させました。

「学校のヨットは、ハンドルじゃなくてティラーなんだけど」

ゆみは、父にぶつぶつ文句を言いながらも、ラットを握りました。

最初は、ティラーの操舵とは逆向きに動くラットの操舵に少し手間取っていましたが、割とすぐラットの操舵には慣れることができました。ゆみは、父のヨットでラットの操舵を覚えられたことで、車の免許を取る際、車の運転もわりとスムーズに覚えることが出来ました。おかげで、車の免許を取得してからは、母がいつも乗っていた小さな赤いベンツは、殆どゆみが運転するようになり、日々のお買い物も、母は助手席に座り、ゆみがいつも運転してお買い物へ行くようになりました。

そして、父の新しく生まれ変わったヨットは、横浜のヨットクラブで開催されたクラブレースで初優勝を果たすことが出来ました。

クルージングセーラー

大学のヨット部では、ヨットレースが多かったゆみですが、大学卒業後は、ヨットレースは全くしなくなり、ヨットはクルージングのみを楽しむようになりました。

今井ゆみの愛艇

今井祥恵のヨット歴

今井祥恵のヨット所有歴

今井ゆみのヨット歴

今井ゆみのヨット所有歴